なんか違う
童貞って「なんか違う」って言うよね?
これは先日友人と議論になったことである。
童貞は「なんか違う」と言いがちである。これは確かにその通りで、僕も一年ちょっと前まで童貞だったので思い当たるふしがある。
例えば、ちょっと仲良くなった女子に対しそれ以上仲良くなろうという行動を起こさない。駄目なところを指摘してくれる男友達に感謝の意を示さないどころか距離を置こうとする。この理由を聞くと大抵「あの子はなんか違う」「あいつはなんか違う」、あるいは類似する言葉を口にするように思う。
これはどういうことなのか。そもそも何が違うのか。正解は何なのか。
上記の例をとって、議論の末導き出された一つの結論は、「理想と違う」だった。
かなりしっくりきた。前者の「なんか違う」が最後のピースであったならパズルが完成したかのような快感である。
童貞というのは、歳を重ねるほど、自分のありのまますべてを受け入れてくれる理想の女性がいつか現れるというファンタジーを信じるようになると思う。僕もそうであったしよくわかる。しかし天使がこの世界で目撃された例はなく、これからもそんなもん現れないのでとにかく頑張ったほうがいいと思う。
そしてもう一つの結論は、「防御」だった。
これもいい感じにしっくりきた。後者の「なんか違う」に、人をダメにするソファーに腰掛けたときなみにフィットしている感覚を受けた。
童貞というのは、年齢を重ねるほど香ばしくなってくる。大事に守ってきて熟成されてくるもの、それは自尊心、プライドである。自分自身である。それを守るために全精力を注いでいるのだ。でもそれはでっかく童貞と書かれた看板を立てていることと同じなのでやめたほうがいいと思う。イカ臭いプライドは早く捨てたほうがいい。
「なんか違う」のは君だよ、と言ってあげる優しさに、彼らが気付く日を願う。