終わりのあと
僕は「何かが終わったあと」の雰囲気が好きである。
しかしそれを職場に人に話したら共感されなかった。
うーん、好きなんだけどなぁ。
何かの最盛期が過ぎたあとみたいな時間や世界ね。
季節で言えば夏の終わりから秋まで。
祭が終わったあとの雰囲気とか。
自然に飲み込まれる廃墟とか。
ポストアポカリプスを描いた作品とか好きでたまらない。
あの独特の物悲しさの漂う時間、空間、世界。なぜあんなに心魅かれるのか。
そこで、それらに何が共通してるのか考えてみた。
ふむ、「寂しさ」かなー、とわかりやすいものが一番に浮かんだ。
かつてはここにたくさんの人がいたけど今はいないという類の寂しさ。
そこに確かにあった喜怒哀楽。 それらには縁のないような顔をした寂しさ。
しかし、思うに「寂しさ」って喜怒哀楽すべての感情に繋がるのではないか。
寂しいから、それを払拭するために人に会うし、楽しいことしようとする。それがわかちあえれば喜びを感じる。
寂しいから、それが哀しくなるし、人に構ってもらおうと何かを起こす。それで振り向いてもらえなければ理不尽に怒ったりする。
寂しいから、そこから抜け出す行動を何かしら起こそうとするわけだ。
行動の原動力であり理由になる。
寂しさも共感できれば、それは寂しくなくなる。
寂しさってお一人様用の感情なのかね。
なぜ生きるかと聞かれたら、死ぬのは寂しいから、と答えたらなんかそれっぽい。
なんかポエムみたいだなこの記事。
日曜の夜はセンチメンタルになってやだねぇ。
まぁ、「何かが終わったあと」の雰囲気が「寂しさ」からくるものだったとすると、それを好きと感じる人がいるのも、嫌いと感じる人がいるのも頷ける。
寂しさに共感するか、寂しさを忌避するか、人によって違うといったところかな。
いやもちろん、終わりのまえの楽しい時間が嫌いと言っているわけではないけどね。