魔法陣グルグル − ヒロインはパートナー
魔法陣グルグルとは、かつて月刊ガンガンで連載されていたギャグファンタジーの金字塔である。
そして今はその正統派続編の「2」がガンガンオンラインで連載している。
さらに言うとリブートしたアニメが放送中である。
勇者ニケと魔法使いククリの魔王を倒す旅である。
何が言いたいのかというと、あぁ〜やっぱグルグルはいいわ!最高!である。
僕は少年少女冒険ものが好きなのであるが、そのルーツはここにあるように思う。
重要なのは、女の子がヒロインであり相棒である、ということだ。
主人公の少年を自分のできることで精一杯サポートし、また少年もそれを無闇に危険だから下がってろなどと言わずに当然のように受け入れ、それぞれができることしお互いを守りながらチームプレイで戦うところが良いのだ。まぁそうするしかないところもあるのだが。たまにそれぞれの役目が入れ替わったりなんかしちゃってパワーバランスが変わるところとかも良いのだ。
お互いに背中を預けて戦うこともあれば、同じ方向を見据えて歩むこともあるし、見つめ合ってお互いの愛おしさを再確認することもある。かと思えば指差して大笑いすることもあるし、ダメ出ししあったり引いたり引かれたりしている。いい関係だなーと思う。旅の途中、ってところが友達以上恋人未満を続けることの免罪符にもなっていて良くできてるよね。
恋人や妻を「パートナー」と表現することがあるけども、グルグルを見ていてなるほどなーと妙に納得したのだった。
なんか違う
童貞って「なんか違う」って言うよね?
これは先日友人と議論になったことである。
童貞は「なんか違う」と言いがちである。これは確かにその通りで、僕も一年ちょっと前まで童貞だったので思い当たるふしがある。
例えば、ちょっと仲良くなった女子に対しそれ以上仲良くなろうという行動を起こさない。駄目なところを指摘してくれる男友達に感謝の意を示さないどころか距離を置こうとする。この理由を聞くと大抵「あの子はなんか違う」「あいつはなんか違う」、あるいは類似する言葉を口にするように思う。
これはどういうことなのか。そもそも何が違うのか。正解は何なのか。
上記の例をとって、議論の末導き出された一つの結論は、「理想と違う」だった。
かなりしっくりきた。前者の「なんか違う」が最後のピースであったならパズルが完成したかのような快感である。
童貞というのは、歳を重ねるほど、自分のありのまますべてを受け入れてくれる理想の女性がいつか現れるというファンタジーを信じるようになると思う。僕もそうであったしよくわかる。しかし天使がこの世界で目撃された例はなく、これからもそんなもん現れないのでとにかく頑張ったほうがいいと思う。
そしてもう一つの結論は、「防御」だった。
これもいい感じにしっくりきた。後者の「なんか違う」に、人をダメにするソファーに腰掛けたときなみにフィットしている感覚を受けた。
童貞というのは、年齢を重ねるほど香ばしくなってくる。大事に守ってきて熟成されてくるもの、それは自尊心、プライドである。自分自身である。それを守るために全精力を注いでいるのだ。でもそれはでっかく童貞と書かれた看板を立てていることと同じなのでやめたほうがいいと思う。イカ臭いプライドは早く捨てたほうがいい。
「なんか違う」のは君だよ、と言ってあげる優しさに、彼らが気付く日を願う。